歌で人生を豊かにする方法

歌うことは、音楽は人生を豊かにする。いくつになっても自分らしく輝きたい人へ

私の歌は「楽器」です。これからはプレイヤーとして生きていく。

先週土曜日にやったライブ。

 

 

 

 

これは最後にやった曲。

 

 

今回、「私がやりたい音楽はこれ!」

という曲ばかりを大集約したので、

もう、やりきった感といったらないです。笑

 

 

15年、バンドのボーカルやってきて

たぶん、一番「自分らしさ全開」だったと思う。

 

 

私は、高い声は出ません。

抜けるような通る声も出ません。

透き通るような女性らしい声でもありません。

 

 

ついでにいうと、

そっこまですんごい歌がうまいかっていうと

疑問が残ります。笑

 

 

でも、それが私なんだ。

 

 

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私は、歌を聴かせるボーカリストではない。

フロントマンではあるけど、

私のフロントマンとしての役割は

「MCで楽しませる」というところくらいです。笑

 

 

私の歌は、楽器です。

演奏の、一部です。

つまり私は、歌い手ではなく

「ボーカル」というプレイヤーです。

 

 

さらに言うなれば、

メロディーを担当する、

ギターやピアノのような「上もの」でありながら

「演奏の基礎」を担うベースやドラムのような

「リズム隊」でもあります。

 

 

今回のライブをやることで

それが確信に変わりました。

私は、「声とカラダですべてを表現する楽器だ」と。

 

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歌い手・ボーカリストたるもの、

声を磨いて、歌を磨いていかなければならない

そう思ってやってきました。

 

だから、少しでも高い声が出るように

レーニングしたこともあるし、

もっと通る声が出るように

練習していたこともある。

 

 

20代の頃はボイトレにも通って、

「こういうのが究極のいい声!」みたいな

高得点な優等生を目指していたこともあります。

 

 

でも、どうしても私にはそれが無理だった。

 

 

自分を捨ててまで、

歌の優等生になることはできなかったんです。

 

 

15年もやっていれば、

歌うことが嫌になることも、

自分の声が嫌いになることも、

自分の声帯が憎くて仕方なくなることも

何度も何度もありました。

 

 

プロで活動している方の歌をきいて

「自分はなんてダメなんだ」と

愕然とすることも何度もありました。

 

 

そのたびに、「歌のレベル」をあげなければ!と

試行錯誤しては、

「でも私は私だ」と

堂々巡りしていたこともあります。

 

 

それがようやく終焉を迎えたのかもしれません。

 

 

 

これが私にとっての歌。

これが私にとっての音楽。

 

 

これが、私。

 

 

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このカラダで、この声で産んでくれた両親、

私をここまで導いてくれた夫と音楽仲間、

いつも親の活動を見守ってくれる娘に

感謝してもしきれない。

 

 

やっと気づいた35歳、初冬。w

 

 

これからは、「歌」じゃなく「楽器」としての

ボーカリストを生きていこう。

 

 

これにて、なかはらゆうこ、ならぬ、

mochikoの2018年のライブ活動は

すべて完了です!

 

 

2019年はすでに・・・

やろうとしているライブが、7本も・・・

過去最高かもしれない。

 

 

うち、バンマス(仕切ってる)やってるバンドが・・・

5本くらい・・・?

 

 

あれまあ。笑

でも、楽しいな。

来年は年女であり女の大厄の本厄でもあるので、

「厄なんてぶっとばせ!」をテーマに

猪突猛進していこう。

 

 

待ってろよ、イノシシ年。

待ってろよ、射手座木星期。