1年以上放置したけど、復活するよ!!
こんにちは!
気づけば1年以上も放置・・・
が、真面目に更新していくことを再度決意。w
(続くかな)
えっと、まず、名前を、変えます。
というか、歌うときの名前「mochiko(もちこ)」を名乗ります。
だって、歌うときはいつだって、もちこだから。w
あとね、最近、「smule sing」という歌アプリをはじめて、
いろんな人(知らない人w)の歌を聴く機会が増えて、
「こここうしたらもっとよくなるのに!」
「出だしーーー!!!!」っていう余計なお世話なことを思うようになったんです。
なので、カラオケからライブで歌うボーカリストまで
役に立つワンポイント情報をお届けしていきます。
動画もまじえながら、ね。w(恥を捨て。w)
そんな今わたし、声帯炎症中のため、動画のお届けはもう少し先になります。
でも、更新していくよ!よろしく!!
【自己紹介③】奇跡の連続だったバンド活動全盛時代、からの、結婚からの、音楽一家形成
こんにちは!
スピリチュアルボーカルレッスン、ナカハラユウコです!
さて、自己紹介はこれぐらいにします。
つまり(?)、めっちゃ駆け足で第三弾、書きますw
過去の自己紹介はこちら。
【自己紹介①】
miracle-voice218.hatenablog.com
【自己紹介②】
miracle-voice218.hatenablog.com
20歳でたまたま友人に誘われたバンドに、正式に加入、というか、メンバーの1人とバンドを続けることになったのです。
その「メンバーの1人」というのが、私の夫。
彼がメンバーを集めてきてくれて、なぜかバンド名は、「スニッカーズ」でw、
何度かカバー曲でライブをやっていました。
よくカバーしてたのは、東京事変とか椎名林檎とか、そのへんだったかな。
(そこにまぎれて、ドリカムのWINTER SONGやったりもしてた)
そしてどういうわけか、あるとき突然、オリジナル曲をやりはじめたんです。
気づいたら、今は夫である彼が、曲をつくるようになっていて、そのうちライブも、オリジナル曲メインでやるようになり、
気づいたら、レコーディングなんかもしてCDまでつくっていた。
それが、私が24〜25歳くらいのときだったかな。
CDつくったころに、一度、吉祥寺のスターパインズカフェでライブができたという奇跡。
そのころくらいに、当時ドラムを叩いていた、夫の兄の友人が脱退したことにより、一旦解散したんです。
でも、結局私と夫は、2人で活動を続けることにして、メンバー集めをmixiでしてw、
ギターとドラムがmixiで見つかったというこれまた奇跡。
このメンバーになってから、新宿LOFTから声がかかるという史上稀に見る奇跡が起きまして。
でも、このときのドラマーはわりとすぐにやめてしまい(元プロだったしね・・・)、またもドラマー探しの旅がはじまりました。
が、残った私たち3人で参加した某セッションで出会ったドラマーさんに声をかけ、あっさり新メンバーとして召喚することになり、
さらにさらには、そのメンバーになったら今度は、代官山LOOPから声がかかったという。
しかも、2回もやりました、代官山LOOPで。
ここ、オシャレ系の邦楽が好きな人なら知らない人はいないようなハコで、私自身も好きなアーティストのライブを観に行っていたハコだったから、まあ、大ジャンプした感じで。
が!ドラマーが、地元である鹿児島に帰ってしまい、実質、ほぼ活動終了・・・
でもそのころに、私と夫は結婚が決まって、結婚式は、ずっとずっと憧れていた、渋谷のJz bratで盛大に!!!
もちろん、ライブメインで。
それまでお世話になった音楽仲間を集めて結婚式バンドをつくって、10曲くらいやったかな。
それから、子どもが生まれて、私はしばらく音楽活動からは遠ざかっていました。
でもね、いつまでも隠居してるなんて私には無理だった!w
娘が2歳をすぎたころから、セッションに、娘を連れて参加するようになっていました。
(あんまり音が大きなさ過ぎない、禁煙、ライブハウス側が子連れもOKしているところね)
そして、それは今でも続いています。
そのライブハウスのセッションで出会った人たちと、今は時々、そこでライブもやっています。
結婚して、出産して母になっても、大好きな音楽活動ができていることは、私にとって、とにかく喜びでしかありません。
もし、子どもが生まれた後、「私は別にもう音楽なんて・・・」と思ったとしても、なんてったって、
一番近くにいる夫が音楽をやっているので、それがうらやましくてしかたなくて、八つ当たりしていたに違いない。w
今は娘も一緒に、私たち夫婦が好きなマニアックな邦楽を口ずさんでいます♪
結婚しても、母になっても、好きなことは、できる!!
それを伝えていくのが私の使命のひとつだなと、今は思っています。
そして、歌うことは、世界とつながること!!
大きなエネルギーをたっぷり感じて歌うことが、自分を解放してくれて、自分らしく生きていく道を切り開いてくれるものと、私はマジで信じています。
スピリチュアルボーカルレッスンでは、ただのボイストレーニングだけではなく、歌を歌う人の「マインド」にもフォーカスして、
自分を生きるための歌で、魅力的な人生をデザインしていきたいと思っています❤︎
自己紹介、おわり!!
もうちょっと真面目に更新しよう・・・
【自己紹介②】大人の階段を上ったら、人生を変える出会いが待っていた
こんにちは!
スピリチュアルボーカルレッスン、ナカハラユウコです!
今日は、自己紹介②をお送りします。
自己紹介①は、こちら。
miracle-voice218.hatenablog.com
大学生になり、サークルと恋と酒にキラキラとした毎日を送っていた私が、私の音楽人生を決定づけることになる運命の出会いをはたしたのが、
20歳の、冬。
高校時代の友人に、「バンドで歌ってみない?」と誘われたんです。
友人は、どうやらバイト仲間とバンドを組んでいたみたいで、ボーカルさんが辞めるタイミングだったらしく、後釜のような形で誘われたんですね。
が!
正直、バンドにあまり興味がなかった私。
だって私が好きなのって、ポップスとか、R&Bとか、バンドでやるような曲ではない音楽だったから。
そもそも、バンドでやるような曲、よく知らんし。
と、あまり乗り気ではなかったんです、最初は。
でも、何度か誘われて何度目かに、「よし!」と、重い腰が上がった。なぜか。
初めてのスタジオリハーサルは、まあそれはそれは緊張というか、知らない人ばっかだし、いきなり知らない人の中で歌うわけだし、
とりあえず今の自分でやれることをしようという感じで、リハーサルに参加。
このとき、ドラムを叩いていたのが、夫。
(当時、彼は19歳で、いまよりだいぶ、とんがっていましたw)
1回リハーサルして、何日か後がライブ本番。
その初ライブのときはまさか、自分が10年以上たってもなお、歌い続けているなんて思ってもみないわけで。
だって、1回で辞めるつもりだったからw
1回限りにならなかった、そのきっかけをくれたのが、なんと、夫だったんですね。
正直、リハーサルでもライブ当日も、ほとんど話さなかったんですよ、彼とは。w
年下だし、ちょっと怖そうだし・・・
だから、ライブのあとに、連絡をもらったときは正直びっくりしました。
「バンドやりませんか?」って。
(今思えば、これ、絶大なアプローチやん!って思いますけどw)
でも、断らなかった私がいた。
だって、好きな音楽が似ていたんだもの!
私の中で、「バンドをやっている人」は、私が好きなような音楽って、好きじゃないんだと思い込んでいたんです。
それがさ!!!
夫は、「歌が上手い女ボーカルのオシャレな曲が好き」とな!!!
そしてそのカテゴリーに入れてもらえたのが、なんか嬉しくて。
こうして、私のバンドボーカル人生がスタートしたのです。
つづく
【自己紹介①】とりあえず、アナタハナニモノデスカ?と訊かれる前に
こんにちは!
スピリチュアルボーカルレッスンのナカハラユウコです!
気合いを入れて、自己紹介、書いていきます!
はたして、シリーズいくつまで続くか・・・乞うご期待ください。w
まずは自己紹介①
とりあえず、アナタハナニモノデスカ?と訊かれる前に、自分から基本的事項を紹介していきますね。w
・名前:ナカハラユウコ
・生年月日:1983年7月10日(もうアラサーではない)
・家族構成:夫、娘(5歳)
・出身:東京都
・住まい:東京都
うん!こんな基本的な情報別にいらない!汗
今、34歳。7年前に結婚して、夫と、来年小学校に入学する娘がいます。
すごくベタすぎる紹介文の冒頭にはなるけど、
子どもの頃から、歌うことが大好きでした。
世の中、個人ビジネスをしている人の中には、自分のコンプレックスを克服した経験を生かして大活躍している方もいますが、ボーカルレッスンにおいて私の場合はそっちではないです。
子どもの頃から、歌うことが大好きで、自分でも「歌が上手」と思ってて、周りからも、褒められて育ってきました。
音楽番組を家族が録画しておいてくれて、タンバリン片手にそれを観ながら歌っていたのが30年ほど前のこと。
バブルを知らないくせに、軽くバブリーな感じの曲を聴いては歌って踊っていたみたいですね。w
小学生時代は、まさかにカラオケブームの時代で、友達とカラオケに行っては親や先生に怒られ、それでも懲りずに中学生でもカラオケブーム。
この頃から、オーディションを受けたり、当時ASAYANが大人気だったのでそのオーディションを受けに行ったりするようになりました。
(全部書類で落ちてますが。汗汗汗)
中学3年生のときに、今や私の人生のスターとも言える宇多田ヒカルさんが鮮烈なデビューをして、その歌声という名の落雷にあい、もう歌うことなくして生きていく人生はありえないだろうと、15歳にして悟ることになり、R&Bが大好きになるのでした。
高校生になったらもっといっぱい歌うぞ!と思っていたものの、当時ASAYANに負けず劣らず流行りはじめていたダンスにも興味があり(アムラー全盛期!)、高校ではダンス部に所属。
部代表をつとめたり、文化祭でのダンスの振り付けをするなど、バリバリのダンスマンとなるも、ダンス生活は高校3年間で終了。
大学に入学すると、今度こそバンドをやろうと思うも、カッコイイ先輩の後を追うように流れ流されてテニスサークルに所属。
テニスと酒と恋に明け暮れたキャンパスライフを送ることになり、歌はカラオケで嗜む程度。とにかく素敵な先輩をモノにしたい一心で、毎日見えなくなるくらいキラキラした生活をしていた。
が!!
そんなある日。20歳のころだろうか。
その後の人生をも変えるような劇的な出会いをはたすこととなる・・・
続きはこちら
miracle-voice218.hatenablog.com